エディトリアル
My Story

結婚・出産後は、主に子育てに専念していた私ですが、知人、友人、かつての仕事関係者のお手伝いから、現在の仕事を再開するようになりました。
寝ている時間以外は遊んでいても大好きな仕事優先、出来ることならお嫁さんが欲しいという生活から一変、人間育成プロジェクト(子育て)をメインにしながら片手間に外のお仕事にアドバイスをお伝えすると言う緩い仕事スタイルになったことで本格的な復帰は難しいと思い込んでいました。
しかし、店販と通販、両方のキャリアから得た販売戦略やその基本的な考え方は、E Cが主流となった現在も、大きくは変わらないということが見えてきたことで、そんな私がお役に立てることがあるのであればという気持ちで、できる限りの問題解決のお手伝いをさせていただいています。
現在、ご縁をいただいています事業者様によく言っていただく私の仕事ぶりは
「バイヤーとしてのバランス感覚の良さ」。
バランス感覚、というと大変曖昧な表現かもしれませんが、商品を販売する際に、ときに「思い入れの強さ」は、足かせとなりやすいもの。主役は、ものでも、作った人でも販売者でもなく、消費者です。ですから、バイヤーとしての公平な、バランスの良い目線が必要になります。
今でこそ大好きなことが仕事となっていますが、そもそも、大学を卒業して入った百貨店の仕事は、本当に自分がやりたいことではありませんでした。自身のキャリアを振り返る作業を重ねるうちに、かつては自信が持てず、嫌いだった、「流されやすい自分」という存在が、現在の自分の仕事へのスタンスにつながり、むしろ強みになっているのだと理解できるようになりました。
もし、お時間が許せば、そんな私の“ダメが多かった”ストーリーをお読みいただけたら幸いです。


●催事部希望で百貨店に入社するも婦人服の部署に
キャリアのスタートは、池袋東武百貨店。大好きだった『三島由紀夫展』を開催した百貨店であることから、催事の部署を希望して入社。
ですが、まったく希望していない婦人服の部署に配属になりました。
花形の部署ではありましたが、売り場に立ちっぱなしで足がパンパン……
洋服を売る仕事が、本当に自分がやりたかった仕事なのだろうか?
会社の人とつるむこともなく、妹や友人に愚痴を言う毎日を過ごしていました。
●友人からガツンと言われたこと
そんな中、大学院に進んだ友人から言われた言葉に、脳天を撃ち抜かれるほどの衝撃を受けます。
「愚痴ばっかりで何も動かないんだから、利恵子は本当に何かを変えたいわけじゃないんだよ。私はどうしてもやりたい勉強があって、どうしても大学院に行きたかったからそれを実現するために死ぬほど勉強して行動したよ」
あまりに正論過ぎてショックを受けました。でもすぐに、
「あなたは勉強ができるし、専門性はあるし忍耐力もある。とにかく周りの人から一目置かれる人だもの」
と反論。すると、
「いいんじゃない? 利恵子はそのままで。今の実力に合ってるんだよ」
と一言。
もう、立ち上がれないくらいに落ち込みました。確かに、
「楽しいことだけやっていたいし」「継続は力なりって何?」というのがこれまでの基本スタンス。
そんな私ですから自分の力ではどうにもならない部署移動を願ったり、結構な労力を使う転職、とはすぐになりませんでしたが、まずは今いる部署で、良くなることを考えて行動してみよう、そう思うようになりました。
●ビジネスの面白さに目覚める
初めにしたことは直属の上司に自分をさらけ出したこと。
催事部に行きたかったから婦人服に興味を持てないことを打ち明けたのです。上司が元催事部だったことも幸いし、
「予算をたてて担当してごらん」
と、売り場の一部のプロデュースを任せてくれました。きっと、たくさんの先輩方にも同じようにしていたのかもしれませんが、レイアウトを変えてみたり、接客も、担当する売り場を超えて、洋服の相性を考え提案することで売り上げが上がるだけでなく、自分の考え方も変わっていきました。
●ものが売れる“機”を学ぶ
その後、百貨店オリジナル商品開発の経験を経て、3年目に、女性初の婦人服アシスタントバイヤーに就任。
国内メーカーの商品の仕入れだけでなく、NYの百貨店「メイシーズ」「サックス・フィフス・アヴェニュー」からの直輸入商品の取り扱いも担当するようになりました。
ここではマーチャンダイジング、バイイングをして取引先のメーカーに訪れたり、生地や付属品の勉強をしながらも、売り場に立ち続けたことが、とても良い経験になりました。
お客様が「欲しい」と思うことと、実際に「買う」という行動の間には、どこに違いがあるのか、延べ8000人の「エンドユーザー」と直接話すことで、学んでいきました。
皆さんはお客様は何を買いに来ているか、じっくりと考えたことはありますか?
EC通販、通販、店販に携わる方ならどんなお客様をペルソナにしよう、だからこの商品がぴったりだ。と言うことはしっかりと構築されていることでしょう。
私が皆さんにお伝えしたいのは
「スカートを買いに来た人に、スカートは売らない販売戦略」
です。
何を言っているの?と思われることと思います。
そのマーケティングKNOW HOWについてご興味のある方はメールやコメント欄でアクセスしてみてくださいね。
また、こちらのHPのCoiumnでもゆっくりお伝えしていければと考えています。
●渡航20か国以上、仕事の息抜きはバックパッカー旅行
学生の頃から予定を決めずにふらっと海外旅行に出かけるのが趣味で、社会人時代は、旅行をするために仕事をしていたようなものかもしれません。
言葉が堪能でもないのに、飛行機でたまたま隣になったカップルと仲良くなり現地を案内してもらう、タクシーの運転手さんと仲良くなり、その方の地元のお祭りに参加させてもらう、というような現地の方との交流も経験しました。
それぞれの国の地域性や環境、その歴史によって生まれてくる文化性、価値観の違いを目の当たりにしたことが、現在の“世界のお宝紹介”ビジネスの助けになっています。
●家族に助けられながらの転職
百貨店で身に着けたスキルを使って別の仕事ができないかと考えていた時、ふと目を通した新聞に通信販売ディノスの募集要項が掲載されていました。よく見ると申し込みは2日後締め切りとのこと。
次の日も仕事があって、自宅に戻るともう21時過ぎ。履歴書に取りかかるも、深夜1時になっても納得のいくものができませんでした。
今回は縁がなかったのかなあ……と弱音を吐いていたら、遅くまでレポートを書いていた妹が
「ここであきらめるなんてダメ。もう少し粘りなよ!!」
と発破をかけてくれました。
ここでも、楽な方へ流される自分が顔を出しましたが、なんとか徹夜で履歴書を仕上げ、ご縁あってフジサンケイリビングサービス(現ディノスコーポレーション)に入社することになりました。
●ダイレクトマーケティングの未来
フジサンケイリビンググループの「ディノス」は、テレビ局のダイレクトマーケティングを世界で初めて始めた会社です。
当時は店舗販売至上主義、特に百貨店は、良い商品が揃う信頼のある販路で、通販はまだまだマイナーだったかもしれません。
ファッション、美容、健康食品のバイヤーとしてカタログ、テレビショッピングに従事。
また社内プロジェクトとして、定期購入に特化した部署の立ち上げメンバーとして売り上げに貢献しました。
今振り返ってみると、店頭販売では当たり前のお客様と直接触れ合うことが足かせとなる通信販売業界で、その部分を埋めるべく試行錯誤することで現在のビジネスに通用する基礎が学べたと思います。
E C通販、ライブコマース、メディアミックス、サブスクリプションサービス、インフルエンサービジネスなど現在主流となっていビジネスの黎明期に、そのすべての基礎となる仕事に携われたことは幸いでした。
経歴を見れば順風満帆に見えるかもしれない私の仕事人生ですが、それはすべて自分で選び取ったものではありませんでした。就職や転職までも、流れに導かれるまま、人に恵まれてここまでやってきたように思います。
現在も夫に、「自分がない」と言われることもある私ですが、だからこそ「相手が本当に求めていること」の真理を想像し、共感し、商いとしての結果を残すことができたのだと確信しています。
“自我”が顔を覗かせることなく、相手に共感すること、これがビジネスにおいても大切なことだと考えています。
●知られざるものの魅力を伝えること
充実したディノス時代、その後結婚・出産を経て育児もひと段落したころ、かつての取引先、ビジネスのアドバイスを求められる機会が増えてきました。
現場から離れていた期間も長く、復帰への自信もなかったのですが、数々の魅力的なものたちとの出会いに、少しずつ心が動かされ、自分が役に立てることがあるのではないかと思うようになりました。
思えば、百貨店、通販時代は、
「良いものだから、売れるわけではない」
という、残酷な現実もあり、泣く泣く販売を諦めたものもたくさんありました。
その時の悔しい思いは今でも心に残っていて、現在は今まで考えられていたようなビジネスという枠にとらわれることなく、
「多くの人のためになるもの」の魅力を、お伝えしていきたい思っています。
幸いなことに、こういった私の考えに賛同し、サポートしてくださる各方面のプロフェッショナルが多くいらっしゃり、チームとして動くことができることも強みとなり大変やりがいを感じています。
様々な商品や情報など、集まってきたものたちも少しずつご紹介してまいりますので、どうぞ楽しみにお待ちください。